|年中行事の知識|冠婚葬祭表書き・お返しの表書き一覧|
年賀状は新年を迎えた慶びを交換するものです。 現在のような年賀郵便の取り扱いが始まったのは、明治32年に年賀切手が発売されてからのこと。 また、昭和24年にお年玉付き年賀はがきが発売されてから、年賀状の交換が急速に普及し、現在にいたっています。
年賀状を送る相手はさまざまですが、相手によって失礼にならない内容で送ります。 市販されている慣用型の年賀状や、注文して印刷したものにも、なるべく自筆でひとこと書き添えましょう。 とくに日頃連絡をとっていない人や、遠方の人に出すときには、近況なども知らせるといいでしょう。 日付は平成○○年元旦、または20○○年元旦とし、1月元旦としないように注意しましょう。
年賀状を出さなかった人や、出し忘れた人から年賀状をもらった場合、できるだけ早く年賀状を出しましょう。 松の内に届きそうもないときには寒中見舞いにし、1月6日頃から立春までに出します。
家族を亡くして喪中にある場合は、年賀状を出しません。 その場合、年賀状を出さないことを前もって詫びる挨拶状を、12月の初め頃に着くように出しましょう。 また、喪中の相手に対しては年賀状を出すのを控え、年が改まってから寒中見舞いを出すといいでしょう。 喪中と知らずに年賀状を出した場合は、お詫びと慰問の手紙を出すようにします。
3月2日の夜に宵の節句を行い、4日には送り節句、5日に片づけるのが正式とされています。 ひな祭りには、ちらし寿司、蛤のすまし汁、草餅、ひなあられ、白酒などをひな壇に供え、会食します。 ひな人形は男女一組の内裏びな、三人官女、五人囃子、左大臣と右大臣の随身、三人仕丁の15人揃いが豪華です。
ひな壇には人形のほかに、屏風、ぼんぼり、左近の桜、右近の橘、たんす、長持ち、鏡台、かご、御所車などのミニチュアを飾ります。 飾り方や人形の持ち物には地域によって違いがあります。
飾ったひな人形は、3日を過ぎたらなるべくすみやかに片づけましょう。 でぎれば晴天の日に片づけたいところですが、天気が悪いようならいったんは片づけて、晴れた日にしまい直すといいでしょう。
春分の日と秋分の日のそれぞれ前後3日間を合わせた7日間をお彼岸といいます。 太陽が真西に沈む春分の日と秋分の日は、極楽浄土にもっとも近いところに太陽があるので、この日に故人の霊を供養すると、霊が迷わず極楽浄土へ行けるといわれています。
5月5日は、もともと端午の節句、菖蒲の節句とも呼ばれる男の子のお祭りです。 江戸時代初期、武家ではこの日、男の子の誕生を祝って鎧兜と具足を飾りました。 町民もこれに習って作り物の兜を戸外に立てたり、精巧に作ったミニチュアを家の中に飾るようになったのが、五月人形です。 鯉のぼりは江戸時代後期から立てられるようになり、立身出世のシンボルとされ、縁起物として広がりました。
五月人形は三段飾りが一般的です。 まず、上段中央には鎧兜と具足一式、向かって右に陣太刀、左に弓矢立てを置きます。 中段中央には陣笠・采配・軍扇、左右には魔よけの鍾馗人形や金太郎・桃太郎などの武者人形を飾ります。 下段中央には菖蒲酒、その両側に柏餅やちまきなどの供物を置き、両脇にかがり火を配します。 鯉のぼりは、いちばん上に回転する玉か、かご玉と矢車をつけ、上から順に黒い真鯉、赤い緋鯉、その下に子どもの鯉をつけます。
菖蒲は古くから打ち身などの薬草として利用されていました。 また、葉から出る香りを病気や災厄を払う魔よけとして、軒下に差したり、枕の下に敷いたり、お酒に入れたりしました。また、菖蒲の音が「勝負」に通じるところから、菖蒲湯の習慣ができたとされています。
暑中見舞いを出すのは、土用の間から立秋(7月20日ごろ〜8月8日ごろ)までの間です。 この時期を過ぎた場合は、残暑見舞いにします。
最近は印刷されたものも少なくありませんが、自筆でひとことを書ぎ添えましょう。 日頃会っていない人にはご無沙汰していることを詫び、先方の健康を気づかう言葉を添えましょう。